ユズ、シャコバサボテン、キク(白-赤ー黄ー桃色)
西成の今昔物語/学校

人口 35,303人(男 17,354人 女 17,949人)  13,330世帯 (平成25年3月1日現在)

昨年11月、西成連区地域づくり協議会は「西成連区ぐるりんマップ」を作成し連区内の全てのご家庭や小中学校にお届けしました。ぐるりんは、巡回するという意味です。

マップには、瀬部から浅野までの地域と近隣に点在する神社仏閣や史蹟などが掲載されています。秋の一日、ちょっとした時間を見つけてご近所を散策してみませんか?

今回、マップ作成のために作成した基礎資料をPDFファイルでお届けします。興味のある方は参考としてご利用下さい。



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11月5日、日曜日に瀬部小学校運動場をスタート・ゴールとして、瀬部・時之島の名所・旧跡を回るウォーキング大会をおこないます。
ご家族やご近所の方と一緒にご参加ください。
詳しくは以下をご覧ください。(下に添付のPDFを印刷することもできます)
※悪天候で中止の場合は、当日の朝、本ホームページの「広報部会」ブログ欄でお知らせします。



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西成の歴史

明治22(1889)年10月1日以降、瀬部村、時ノ島、穂波村(西大海道村、下奈良村、定水寺村、下奈良酉新田村)、赤羽村(大赤見村、柚木颪村、小赤見村、丹羽村)、浅淵村(北小淵村、南小淵村)と呼ばれていたようです。これが明治39(1906)年7月5日合併により西成村となりました。翌40(1907)年1月1日に丹陽村より馬見塚を分離し、西成村に合併しました。その後、昭和15(1940)年9月20日に一宮市に合併し現在に至ります。

何で西成っていうの?

一宮市の中でも、東方に位置しているのに、なぜ「西成」と言うのか?不思議ですよね。 独断と偏見を織り交ぜ、お答えします。 この「西成」は、昭和15(1940)年9月20日に一宮市に合併するまでは、西成村と呼んでいました。 西成村ができたのは、明治39(1906)年7月5日で、34年間続きました。それまでは、丹羽郡の西の端の肥沃な地にあった(位置していた)ことに由来していたからのようです。 丹羽郡西成村、一宮市の西成連区など、「西成」と呼ばれて百年余にもなります。先人の思いをはせ、郷土の成り立ちや伝統文化を大切にしたいものです。

どんな地名があるの?

瀬部、時之島、春明、西大海道、定水寺、丹羽、柚木颪、大赤見、小赤見、北小渕、南小渕、浅野、馬見塚 って街にくらしています。

小学校


中学校


※ 入学時の隣接校選択制がありますので全ての児童の進学先とは限りません。